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2015年 11月 30日
余命一ヶ月(13)
通夜式のことば


菩提寺様と式場の都合によりお通夜が10月7日午後6時
葬儀式が10月8日 出館午後1時と決まる。
10月4日
葬儀屋からエンバーミングの話が寄せられた。
それまでは、妻は妻らしい素顔が良いか?と思っていたが
黄疸のせいか幾分顔の肌が黒ずんでいたので、エンバーミングを依頼する。
沐浴際に葬儀屋さんから「仏の手を拭いてあげる時、一声かけてください」の言葉があった。
無言の妻に「母さんご苦労様、痛みを堪えての療養頑張ったね」の言葉しか出なかった。
娘の言葉掛け、ご兄弟の言葉掛けは薄々聞こえるが、自身の胸中で堪えきれない悲しみが覆っていた。
次から次へと葬儀屋の指示・確認事で5日・6日はあっと言う間に通夜を迎えた。
通夜式喪主の挨拶
 本日は何かとご多用の所、妻 石﨑美知子の通夜にご参会、ご焼香頂きありがとうございました。
病気療養中におきましては、多くの方々から励ましの言葉や、お見舞いを頂きました事、此の席を借りまして厚く御礼を申し上げます。
又、皆様方より過分な心ずかいに深くお礼を申し上げます。
今ほどは、菩提寺、善性寺様からは念ごろなる読経と、講話を頂きましてありがとうございました。
妻、美知子は結婚以来46年間、二人三脚で石﨑剣山製作所の稼業に専念してくれました。
 仕事が立て込むと、仕上げを手伝い、請求書の作成手伝いと、何時が終わりでなく、終わるまでが仕事として頑張ってくれました。
病に伏せるまで、社員同様に出社し、帰宅は30分おろか1時間遅く帰る日々でした。
特段の趣味も持たず、楽しみは三条信用金庫本店様の旅行と、ハサミ団地の主管で行われていた「いけばな」を楽しみとしておりました。
病状につきましては、8月24日、いとうクリニックに診察いただき、即三条病院を紹介頂き、25日担当医、河内先生の診察を受け、結論は「なんでこんなになるまでほっといていた」の言葉に全身に冷たいものが走りました。
27日内視鏡による治療を試みたが、患部が進行しており、針も刺さらずの状況であり、先生の言葉「患者さんを預かり、3日目で医療機関のドクターとして慚愧でありますが・・・余命一ヶ月と判断いたします」と話されました。
病名 胆管細胞癌と食道静脈癌と診断下されました。
以来、先生はじめ、看護婦皆様の手厚い治療・看護に答えられず10月3日
午後4時51分、コスモスの花に誘われ、永久の眠りにつきました。

最後にビデオと式場入口の思い出の写真が有りますが、2~3分で妻の思い出は終わりますが、私たちの夫婦の間に娘が一人おります。四十数年の生きた証が此処にある事を噛みしめ、生前家内に頂きましたご厚情に感謝申し上げ挨拶と致します。
後日、集計したら273名の人々が来場して頂いた。
自分自身、妻へ最後の約束を果たしたと感無量の日であった。
皆さん本当にありがとうございました。




師走も近づき、忘年会、クリスマスパーティー、お正月の場にお花を添えてみてはいかがでしょうか?
小さな剣山でも一つあるだけで、花を凛といけられるはずです。
ぜひ、お買い求めください。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-30 11:38
2015年 11月 26日
余命一ヶ月 (12)
その日が来た

10月3日
早朝8時30分、娘からの電話
看護婦さんからの伝言・・「いつもと違う様子だから
お父さんに連絡入れて」との事で病院に駆け込む。
心電図・血圧・脈拍等々のレーターが乱れ始めている。
妻の外見は何時もと変わり無い様に私には見えるが・・
看護婦さんの言葉に従い、家内の兄弟に連絡を入れた。
兄弟は近辺に住居しており30分足らずに病院に駆けつけてくれた。
が・・特段の変化も見えず11時30分に各自家に帰る。

私の弟は東京に在宅しており、昨日から「明日は会社も休日で見舞いに
伺う」とコメントが有り12時近く病院に見えた。
昏睡状態の妻を見舞い「実姉と違い苦しみの顔をしていないね」と言いながら
安堵の胸中を明かす。
が・・3時30分頃から妻の様子が変化を表した。
再度看護婦さんから、「近親者にお声掛けして・・」の言葉に再び、兄弟に電話する。
妻の兄弟・私の兄弟が見守る中、4時51分妻は永遠の旅路に一人歩き始めるのでした。
入院して僅か40日の療養生活、病名を聴こうともせず、日々ベットで何を考えていたものか?と改めて妻の顔を見つめるものでした。
ありがとう、ご苦労さん・・良い葬儀を執り行うよ・・見ておくれ・・・。

9月23日、一時外泊から病院に帰る時に胸中に呼びかけた言葉
「その目で我が家を見ることも最後であろう、しっかりと瞼に焼き付けて」と
叫んだ言葉も・・・棺の中で眼を閉じたままの帰宅。
後は葬儀屋の指示に従っての行動となる。
菩提寺様と式場の都合で10月7日通夜式・8日葬儀式と日取りが定まる。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-26 10:03
2015年 11月 20日
余命一ヶ月(11) 
ありがとうと感謝

逝くばくもない妻の死をどのように受け止めれば・・・
「ありがとう」をどのようにして妻に伝えれば良い物か?
一つには、小規模ながら社員がいる。
社員の皆さんからも協力願い、社員代表の弔辞をお願いする。
「まだ、生きているのに」と思われるが、指名願う社員は入社して
二年足らずで、妻を充分理解していないであろうと考えると、周りの
先輩からのコメントを加味してのメッセジーを頂く様に、少々気早い行動となる。
(社員は女性が多く男性は彼一人の環境)
山崎君にその旨を伝え了解を頂くのであった。
(当日は立派に弔辞を述べてくれた)

次に妻との思い出の報告
結婚式の写真から、社員旅行等の写真、同級会の写真、仲間たちとの夫婦集合写真、等々を探し始めたが、”何もかも妻任せ”が、此処に来て写真が何処にあるのか探すに一苦労。
と、同時に誰に何のお手伝いを・・等々も同時進行していた。

“何でこんなことを”と思われるであろう。
私の親父が死を前にして「仏壇の下にノートがあるから」と言われ
「書いてあるものを読み上げろ」と言われた。
ノートには、葬儀の来客名簿から席順・お布施まで書き留められていた。
親父曰く「来るもが目の前にしたら気持ちの整理と準備を怠るな」との遺言を
思い出した行動である。
狼狽える姿を妻に見せたくない「ありがとう・感謝しているよ」の言葉こそ
夫婦最後の務めとしたい。
11月19日
ありがとうと感謝

逝くばくもない妻の死をどのように受け止めれば・・・
「ありがとう」をどのようにして妻に伝えれば良い物か?
一つには、小規模ながら社員がいる。
社員の皆さんからも協力願い、社員代表の弔辞をお願いする。
「まだ、生きているのに」と思われるが、指名願う社員は入社して
二年足らずで、妻を充分理解していないであろうと考えると、周りの
先輩からのコメントを加味してのメッセジーを頂く様に、少々気早い行動となる。
(社員は女性が多く男性は彼一人の環境)
山崎君にその旨を伝え了解を頂くのであった。
(当日は立派に弔辞を述べてくれた)

次に妻との思い出の報告
結婚式の写真から、社員旅行等の写真、同級会の写真、仲間たちとの夫婦集合写真、等々を探し始めたが、”何もかも妻任せ”が、此処に来て写真が何処にあるのか探すに一苦労。
と、同時に誰に何のお手伝いを・・等々も同時進行していた。

“何でこんなことを”と思われるであろう。
私の親父が死を前にして「仏壇の下にノートがあるから」と言われ
「書いてあるものを読み上げろ」と言われた。
ノートには、葬儀の来客名簿から席順・お布施まで書き留められていた。
親父曰く「来るもが目の前にしたら気持ちの整理と準備を怠るな」との遺言を
思い出した行動である。
狼狽える姿を妻に見せたくない「ありがとう・感謝しているよ」の言葉こそ
夫婦最後の務めとしたい。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-20 10:16
2015年 11月 20日
余命一ヶ月(10)                        
気丈だった妻

病院に帰るなり衰弱度が日増しに早まる。
9月29日、何時ものようにして娘と病院に顔出す。
私達を見つめる目にも力がない、目を瞑る時間が長くなってきた。
娘が話しかけても声は細く、娘は妻の手を握りながらの会話
返事は手の加減での、やり取りになってきた。
娘が言った
「母さん今日から泊まろうか?」の声掛けに、目を瞑りながら
「そうしてくれるか」と途切れながらに返事をくれる。
入院中に娘が何回か「泊まろうか」と声かけても
「いいよ、自分の事は出来るから」と気丈な面を見せていたが
人恋しさか、自身が不安なのか・・・傍に誰かが欲しいのか、母と娘
親子の絆であろうか。

翌日、娘の朝食におにぎりを持って顔をだす。
娘曰く「父さんがおにぎり持ってきたよ」と驚きの声で妻に伝える。
妻は確かめるか如く、薄目を開け微笑んだ様に私には見えた。
言葉無くして分かり合うに、夫婦の阿吽であろうと不思議さを知る。
(父さんありがとう)と勝手に解釈する。

帰り際に妻に声を掛ける
「10月2日は結婚記念日だぞ・・頑張れよ」と一言置いて病院を後にした。
帰宅し、夕食頂くが味覚の感覚より妻の葬儀をどのように捉えるか・・・。
四十数年間悲喜交々、事業経営に携り今日を見るに、妻へ感謝の意を伝えるに
どんな葬儀を執り行えば・・・と思案する。

社内では事務的作業が混乱している。
妻が入院してからの事務作業に何らかの人手を考えていた。
人材派遣からの紹介で28日から出社して頂く・・・が
当然にして、一からの手順教育・・・ここは先輩社員から教えを願う。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-20 10:14
2015年 11月 17日
余命一ヶ月(9)                       
胸中の涙(pat2)

9月19日からの外泊許可を頂いての6日目
病院に送る時間がやってきた。
日中の会話に「10月2日が結婚記念日、頑張れよ!!」と一言。
4時に自宅を出る。
妻の手を取りながら、階段にゆっくりと足を運ぶ妻
胸中で叫んでいた・・・
「母さん、その目でしっかりと我が家を見ておくれ」と何度も叫んだ。
結婚四十数年労苦を共にして作った我が家と社屋
「母さんがこの次に自宅に戻る時は・・・其の眼が閉じたままなのだ
良く見ておくれ」の言葉が出ずに、頬を濡らす大粒の涙。
病院につき、主治医に会い「ありがとうございました」とお礼を言い
「病状から見て、癌の末期表情が現在見受けられないが」の私の問いに
先生の言葉「痛みを感知する神経が癌に犯されているかも?」の説明。

癌患者の末期状況は実姉を看護して分かっていた。
癌病魔との格闘苦痛は本人以上に、見るに凌ぎ辛いものである。

「余命一ヶ月」と診断されて25日で一ヶ月、死と向か合う妻の姿が
痛々しくも、どうして救いが出来ないものか?自問自答しながら
頭の何処かで葬儀式の事が走っている。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-17 09:40
2015年 11月 16日
余命一ヶ月(8)                      
胸中の涙


19日からシルバーウイークで会社も休日に入る。が、社員に告げる。
「連休中に家内の急変があった時は連絡が付けるように」とお願いする。

家内を迎えて夜昼の生活、顔の窶れはそれほどもないが、手の膨らみが無くなり
私の目には痛々しく感じるのでした。
「母さん、22日はお前の誕生日だよな・・」と言いながらも
次の言葉が出てこない。(胸中ではその日まで生きていてよな、と叫ぶ)

22日朝食を取りながらの会話
「今日は母さんの誕生日、母さん食べたいものがあるか?」と、尋ねるが
自身からの答えは聴けず「あれが好きだったよな・これが好きだったよな」と
私の問いにただ頷く答であった。

穏やかな日和、家族でドライブと洒落込んだ。
妻の体調を考えると遠方に走ることを控え、地元の山間を走りながら
次のコース考え車を走らせる。(昨日から考えていた行動を実行する)

現在稼働している会社・旧会社・妻の実家跡へと・・・
「会社に忘れ物をしたから」と言い会社にたどり着くと「デジカメで写真を一枚撮ろうか」と花壇に妻と娘を座らせてのポーズ。
シャツターを押す瞬間一声がかけられない・・・画像に写る妻と娘。
この世を後何日生きるのであろうか?考えるとシャツターを押す指に力入らず。
画像に見える妻の姿、めっきり白髪姿と生気を失い始めている素顔。

撮影後、事務所に入り、先に聞いていた銀行振り込み手順を打ち始めた。
この日を以って妻は二度と会社に伺うことは出来なかった。
次に、妻の生家跡に向かう・・・
話題を逸らし生家の跡地をゆっくりと車を走らせながら
「母さん此処が生まれた家の後だったな」と話す言葉に
「解らないほどに変わったね」の小さな声が私には聞こえた。

誕生日の夕食は・・・好きであった茶蒸しも、ソフトクリームも、小シャジで
舐める程度の食欲、最後に娘が皮を剥いたブドウを2~3粒で夕食を済ませた。
誕生日まで生きてくれてありがとう・・・と日記に書かれている。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-16 14:12
2015年 11月 16日
余命一ヶ月(7)                        
娘に感謝

妻の入院以来、娘は会社退社後(電車勤務)私が迎え
病院には7時30分頃に顔を出すことが、生活のパターンに
変わった。
今日の病状、点滴の様子等と語り合い、下着の取り替えを包み
帰宅するが、娘であってこれらの事がスムースに進んでいるものか
もし、男子であったらどうだろうか?と考えさせられる日々。
妻の容態は、3~5日位の時間で見ると衰弱の一途を辿っている。

見舞客に対してはそれなりの挨拶をしているが、眠っている時間が
多くなってきた。
「病院いったが眠られていたので・・」と会社まで足を延ばして見舞いを
受ける日々が多くなってくる。
病状の急変の無い事が、今日たった今の幸せ感なのか・・と呟く。
此のころになると「奥さんは?」と日々業務に見えられる人から問われる。
それまでは「夏バテでちっと静養」と歯切れの悪い答弁。

主治医に「思い出をつくりなさい」と促される。
妻を亡くして初めて主治医の言葉・・重みを知る昨今。

此のころから、事務員の必要性が募ってくる。
仕入伝票記帳・内職集計伝票記帳・日々の受注伝票発行・支払記帳・請求書発行
商品集計一覧表・入金一覧表等々とメール対応とかなりの量があり、家内のサブ事務員もお手上げ状況・・
「派遣社員を」と考える日々。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-16 14:10
2015年 11月 10日
余命一ヶ月(6)                    
娘が見る目

此のころ、妻の病状が頭一杯で深夜の2時~3時に目が覚める。
あれこれと(仕事の事、病状の事)考えてメモを書く。
まだ夜明けまで十分時間がある。
日頃家族が集まる部屋の掃除と目が向くのであった。
「何れにしろ、人様(親戚)から来て頂く日が近々にあろう」と考えると同時に「普段の清掃に手が回らない程に仕事に追われていた妻の姿を、少しでも隠そうと」と考え、音も立てずの部屋掃除を2~3日手掛けた。
娘が言う
「父さん何しているの?お母さんが帰ってきたらどう思う?」部屋をかたづけられている現実を「お母さんの心中を考えた」と言われてハッと気づかされた。
夫としての妻を庇う気持ち・娘が女としての見る目・・どちらも異論はないはずだが、と思いながらも手を止めた。

一日外泊許可で妻が帰宅する。
寝間には布団を敷き、寄いつきの部屋には座椅子を新調し、ベットでの姿勢を考えて用意をする。
帰宅一番、布団に休むことを妻は望む・・・と同時に見舞い客が見える。
化粧品販売の奥さんと私が信頼している人の奥さんが見えた。
妻は二人に対して「ありがとう・・どうしてこんなになったか自分でも分からない」の言葉。
二人からの励ましの言葉に、妻は笑顔で頷きながら「ありがとう」と返事。
其の姿の痛ましさに、自分の胸が熱くなる。
軽く食事を取り、8月23日以来で我が家でのお風呂。
湯上り早々「気持ちよかった」と額を拭く。が用足しに行き、血尿が見え不安が走り、その日のうちに病院に戻る。
看護婦さんの言葉を信じて9時過ぎ病院を後にした。
不安で寝付かれなかった。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-10 13:34
2015年 11月 10日
余命一ヶ月(5)                      
8月31日 大部屋に戻る。
「食事もオモユから御粥になれば、自宅にも帰れる」と先生の言葉があったと喜び一杯の笑顔を見せる。
入院して一週間・・・正しい病名を聞かせずの苦しさ、もどかしさ。
聞かせたら、妻はどんなに悲観することか?
自宅で一人になり、こんな問答を繰り返している自分。
どうしてこんな病にかかったのか・・・
「母さんの日々の行動、しぐさをもっと正しく見つめていなかったのか」と
頬に伝わる熱き物・・・

9月3日
主治医から「思い出作りをしなさい」となぞかけ的言葉が私に伝えられる。
単細胞の私・・今更旅行もできず、食べ物と言っても歯応えのきついものは無理であろうに・・と先生の言葉を理解できず日であった。
よくよく考えれば、「残された時間を悔いのない日々を送りなさい」の事であった。
妻から見た思い出・家族から見た思い出・・・であった。
時間がない、明日急変するかもしれない妻の姿・・・。
先生の言葉に「母さん、外泊許可を頂いたよ、明日午後に迎え来るからな」の言葉に元気な笑顔を見せた。

此のころ当社には大きな作業が待っていた。
剣山土台部分の鉛が大きな話題になり、現在も30%からの高値の材料を契約しており、年明けの相場が示される。
過去に類のみない高騰・・・さぁどうする。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-10 13:30
2015年 11月 02日
余命一ヶ月(4)                        
8月28日
病状は伏せ妻の兄弟に電話で入院していることを告げる。
当然にして、兄弟は「どうしたの・・どこが悪いの」と尋ねられるが、
説明の言葉を探しながら答えるもどかしさを知った。
「妻には内証で・・・」と言っても、人それぞれの感覚もあり、心配のあまり本音をポロリと言いかねないこともあるかと考えると、「ちっと重い病にかかったようだ」と言い切ってお願いする。

妻にしては「何で皆が(兄弟が)来るの」?の不思議な思いでいたようだった。
それは、夕刻、私が見舞ったとき「今日、兄弟みんなが見舞いに来てくれたが・・」と話す。
私の胸中には「お前の生命が一ヶ月と診断されたから・・」と言い切れず、「寝たことのないお前が入院したとなれば、兄弟内に聞かせることは、世間の一般的常識であろう」と言い切ってその場を抑えた。
「お父さん、あんまり入院したこと広めるネ」と釘を刺される。

当社は28日給料日、社員一人一人に手渡すことは従来からの習わしであるが、給料の袋詰めも慣れないこともあり時間がつらされた。来月からスムースにできるようにと反省の一日でもあった。
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by ishizaki-kenzan | 2015-11-02 14:42